日本語で南北戦争の本を読もうとしても、選択肢は限られる。日本語で伝記を読むことができるのはせいぜいリンカーンくらいで、その他は皆無と言って良い。
英語の本となれば、もちろん星の数ほどの本がある。ジェブ・スチュアートに関しては、Emory M. Thomasの、” Bold Dragoon / The Life of J.E.B. Stuart” を選んだ。
表紙こそ劇画調だが、中身はいたってしっかりとした伝記になっている。スチュアートの誕生から、ウェストポイント時代、合衆国陸軍時代の活躍、そして南北戦争、その死までを、多くの資料を駆使して描いている。小説のような面白さもあるし、出典もしっかりしている。これはかなりの良書かも知れない。
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スチュアートの人生の物語において、印象に残るのは彼を取り巻く人々との関係である。
まず、父として敬愛したリーとの関係。リーもスチュアートをもう一人の息子として愛していた。スチュアートの活躍をリーは褒めつつも、ハラハラしていたような感覚が、行間から伝わってくる。スチュアートは至って明快で、リーの手となり、足となり、そして何よりも目として働き、喜々として飛び回っていた。
ある時、野外指令部に居たリーの元に、スチュアートが報告にやって来た。その時点では、リーにはスチュアートに与えるべき指示が無い。スチュアートは優秀な軍人としての素質の一つを生かし、すぐその場の地面に横なって睡眠を取り始めた。
しばらくして、方針を定めるに至ったリーが「スチュアートは…」と言うと、眠っていたはずのスチュアートが、「はい、将軍。」と言って、きちんとリーの目の前に立っていた。
スチュアートとは対照的に、非常に無口でおよそ愛想というものないストーンウォール・ジャクソンとの関係はと言うと、意外なことに親友の間柄だった。スチュアートの方が9歳も年下だ。上司と部下の間柄だったこともある。
ジャクソンがその戦績に似合わぬみすぼらしい軍服を着ていると聞いて、美しい軍服を進呈した若い友人とは、スチュアートのことである。自分の連隊の成りを美しく飾り立てるスチュアートの趣味だが、ジャクソンもこの贈り物には大いに喜んだ。
1862年初秋のメリーランド作戦終結後、南軍は各所で長期宿営地を築いていた。
ある晩おそく、スチュアートは仲の良い副官のジョン・ペラム(若くて美しい容姿をしていた)と共に、ジャクソンのキャンプにやって来た。
スチュアートはジャクソンのテントに入ると、ジャクソンが寝ているベッドに入り込んだ。寒い夜で、二人はずっと上掛けを巡ってバトルを繰り広げることになった。
翌朝、スチュアートが起きてみると、ジャクソンが外で焚き火にあたっていた。
「おはようございます、ジャクソン将軍。いかがですか?」そうあいさつしたスチュアートに、ジャクソンが言った。
「スチュアート将軍、私はいつだって君に会えれば嬉しいけどね。まぁ、もうすこしマシな時間ってものがあるだろうが、とにかく会えれば嬉しいよ。ただ…」ジャクソンは足をさすりながら続けた。
「拍車がついたままのブーツで私のベッドに乗り込んで、夜じゅう騎兵隊の馬みたいに引きずりまわすのは止めてくれ。」
同世代の誰よりも早く出世したスチュアートだが、彼を補佐する連隊の首脳陣も同世代の、友人たちがほとんどだった。そして、リーの長男ルーニーとも親友の仲で、ルーニーがスチュアートの騎兵連隊を訪問するとの報に接すると、さっそく「早く来いよ、一緒に寝うぜ」と、快活な手紙をよこした。
ストーンウォール・ジャクソンの副官だったA.P.ヒルは、ジャクソンとの意見が合わずによく衝突を起こしていた。そのヒルもまた、スチュアートの親友だった。スチュアートは、愚痴るヒルの聞き役であり、ジャクソンとの間のとりなし役でもあった。
妻のフローラは、まるでスチュアートの女性版のような人物だった。
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