ノースアンナ
2011-09-02


リーは南北に蛇行するノースアンナ川に対し、V字型の陣形を敷いた。翌23日、グラントの北軍はノースアンナを渡ってこの南軍陣地に、左右から攻撃を仕掛けたが、先に布陣していた南軍の守りには敵わない。しかも背後はさっき渡ったばかりノースアンナ川。加えて、南軍の陣地の凸部分と川に阻まれて、左右双方の北軍は連絡が取れず、結局押し戻されてしまった。
 ここで、戦闘に関して勘の良い指揮官だったら、退却する北軍を勢いよく追って、大打撃を加えるところだろう。しかし、南北戦争中にそれが出来た将官は驚くほど少なく、その一人が前年に死んだトーマス・"ストーンウォール"・ジャクソンだった。
 そのジャクソンの後任にあたるA.P.ヒルは、左翼から攻撃してきた北軍を首尾良く撃退したが、その機に乗じて大攻勢に転じるチャンスは逸してしまった。リーはこのことにひどく落胆したようだ。
 その頃にはグラントもこノースアンナ川渡河作戦の不利を悟り、攻撃を控えるようになった。このことによって、南軍は逆攻勢のチャンスを失った。

 リーにとって悪いことに、南軍は優秀な現場指揮官不足に悩まされていた。信頼するロングストリートはウィルダネスで負傷したため、この時点では指揮不能だったし、A.P.ヒルはウィルダネス以来体調が優れず、万全の指揮ができない。その上、もう一つの大隊指揮官であるユーエルまで体調不良で(これはかなり以前からそうなのだが)、切れが無い。あとは軍団指揮官としては経験の足りない少将たちがいるだけで、これではさすがのリーもどうしようもなかった。
 その上、ここにきてリー自身が倒れてしまったのだ。腸痙攣ということになっている。三日ほど、彼はベッドを離れることが出来なかった。こうなるともう、ストレス性ではないかと疑わざるを得ない。
 この間、グラントの慎重傾向も相まって、双方の戦闘が停止した。逆にグラントがリーの病を知り、それに乗じて大攻勢をかけていたら、南北戦争はもっと早く終結していたかも知れない。

 歴史はそうならず、ノースアンナの戦いは双方決定打を出し切らずに終了した。グラントはノースアンナ北岸に戻った後、もっと思い切って南東へ移動し、当初の思惑通りの会戦に持ち込もうと考えた。しかし、それは南北戦争の中でも最も凄惨な結果を生むことになった。

戻る
[歴史]

コメント(全2件)
コメントをする


記事を書く
 powered by ASAHIネット