ケネソー山 / ピーチツリー・クリーク / アトランタ
2012-10-27


ハーディの軍を南から大きく迂回させ、ストーンウォール・ジャクソンの如き、神出鬼没の働きを期待したが、7月22日の攻撃は、そう鮮やかには展開しなかった。狙い目は良かったが、北軍もかつての北軍とは違う。よく訓練され、よく戦い、決定的な破綻は免れていたのだ。
 時間は北軍に味方した。ハーディは期待したほど素早くは迂回できず、南軍が北軍への本格的な攻撃を開始したのは、午後になってからだった。北軍は、将官であるマクファーソンを戦闘中失ったが、シャーマンからの援軍を得て、南軍の攻勢を跳ね返したのだ。
 ちなみに、マクファーソン少将は北軍の中では戦闘中に死んだ将官の中でも最高位の人物だった。

 このアトランタ東側の戦いは、「アトランタの戦い」と呼ばれている。ハーディが攻め込めた最深部地点の名前を取って「ボールド・ヒルの戦い」という呼び方もあるようだが、ほとんど「アトランタ」で統一されている。
 「アトランタの戦い」というと、映画などでも有名なアトランタ陥落の戦いを連想していしまうが、それまではあと一ヶ月アトランタは持ちこたえることになる。

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