The Night They Drove Old Dixie Down
2009-09-03


"The Night They Drove Old Dixie Down" に関しては、一連の南北戦争関連記事の最後の方で取り上げようかとも思っていたのだが、これほどの有名で、内容的にも話題豊富な曲ともなると、なかなかそうは行きそうにない。

 この曲は言うまでもなく、ザ・バンドの代表曲の一つだろう。1968年発表のアルバム[The Band]に収録されている。作ったのは、ロビー・ロバートソン。彼に娘が出来て間もなく、赤ん坊を起こさないために静に作曲する必要に迫られ、この美しいメロディが出来たという。
 歌詞に関しては、メンバー唯一のアメリカ人にして、アーカンソー州出身のリヴォン・ヘルムの父親がある時、ロビーに冗談めかして「南部は、またいつか立ちあがるぞ」と言ったことが、きっかけになった。
 今更、言うまでもないが南北戦争の歌である。

 ここで注目するのは、第一ヴァースである。
 オリジナル・アルバムのブックレットには歌詞がついていないため、正確にはなんと歌っているのか、人によって解釈がことなり、前記事で紹介したように、微妙に異なるカヴァー・バージョンがうまれた。

 私が持っている、アルバム[The Band] の日本語解説では、このように歌詞を書き起こしている。

Virgil Caine is the name / and I serve on the Danville train / Till Stormvill's calvary came / And tore up the tracks again /
In the winter of '65 / We were hungry just barely alive / By May the 10th / But Richmond had fell / It's a time I remember so well...


 ヴァージル・ケインが働いていていた、ダンヴィル鉄道をずたずたにするのは、"Stormvill's calvary" となっている。「ストームヴィル」は町の名前っぽい言葉だが、"Calvary" とはキリスト受難の地、もしくは磔刑像、受難そのものなどを指す言葉で、ここでは意味をなさない。邦訳も、「ストームヴィルのカルヴァリーがやってきて」と、苦しいことになっている。

 1971年のライブアルバム、[Rock of Ages] の日本語解説になると、さすがにCalvary は "cavalry"(騎兵)になった。しかし、Stormvill's はそのままで、ストーンマン少将は登場しない。  面白いことに、By May the 10th / But Richmond had fell のところは、I made an atempt / But Richmond had fell となっている。邦訳も「ぼくは試みたが、リッチモンドは倒れてしまった」と、これまたおかしなことになってしまっている。
 南北戦争の事を念頭に置けば、リッチモンドが南部連合の首都であり、 そのリッチモンド陥落を示唆していることは明確だ。
 この "atempt" という表記は、日本独自らしく、アメリカの解説サイトなどで、「日本の軽率な間違い解釈」などと言われていた。

 私が持っている、書き起こし歌詞のあるアルバムとしては、最後に来るのが「ザ・ラスト・ワルツ」の、4枚組バージョンで、たしか2002年に発売さえたのだと思う。  ここでは、"Stoneman's cavalry" ストーンマン少将の騎兵が登場。さらに、By May the 10th / But Richmond had fell に戻っている。おそらく、これが決定版と考えて良いだろう。リヴォンの歌い方も、これが最もしっくりくる。



 アメリカなどの解説サイトでも問題になっているのは、やはり日付の問題だ。
 リッチモンドが陥落するのは正確には、1865年4月3日。4月9日に南軍のリーが、北軍のグラントに投降して、南北の戦闘はひとまず終結したことになっている。
 ロビー・ロバートソンが、この史実を踏まえていたのかどうか、とにかく日付に関しては、「5月10日までにリッチモンドは陥落してしまった」となっている。
 これに関しては二つの解釈が成り立つだろう。

 ひとつは、ロビーの勘違い。南部連合国大統領デイヴィスは、リッチモンド陥落後、他に逃れたため、逮捕されたのは翌月の5月10日だったのだ。このため、ロビーがデイヴィスの逮捕と、リッチモンド陥落を混同した可能性がある。

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