F1日本GPに関しては、まだこれから見る方もいらっしゃるだろうから、後日に回す。私はCSの生中継で観戦済み。疲れた。
それにしても、F1が地上波で生中継されないというのは、どうにもけしからん。
先週、日本経済新聞の夕刊文化面に、某信託銀行の社長さんが「こころの玉手箱」というコラム連載をしていた。
この社長さん、「40年以上のめり込んでいる」という、エリック・クラプトンのファンだそうだ。「魂震わされ続け40年 エリック・クラプトンのCD」と題したその文章に、以下のような部分があった。
彼の演奏を最初に聞いたのは、16歳ぐらいの頃。ビートルズの「ホワイトアルバム」だった。ビートルズはそれほど好きではなかったが、何となく「ホワイトアルバム」を聴いていたら、妙にギター音が気になる曲がある。曲名は、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」。 ジョージ・ハリソンってこんなに上手かったかなと、クレジットを見返してみると、作曲ジョージ・ハリソン、ギター演奏エリック・クラプトンとあった。それからクラプトン追跡が始まり、「クリーム」だ、「デレク・アンド・ザ・ドミノス」だとなり、クラプトン関係のレコード、CD、DVDは100枚くらい持っている。
この話は、本当だろうか?
最初に断っておくが、私はこの手のコラムに、厳格な正確さは求めていない。飽くまでも思い出話、エッセイである。たとえ本当ではなくても、この社長さんを非難するつもりもなけば、悪く思うわけでもない。むしろ、お堅い信託銀行社長に、私と同じような趣味があるとは、微笑ましいとすら思っている。
ただ、私は
グレイフライヤーズ・プロジェクトで、リチャード三世でないかという遺骨が発見されて以来、「時の娘 The Daughter of Time」(ジョセフィン・テイ Josephine Tey)を、日本語,英語で読み直している。伝聞や記憶・思い込みと、真実の間を、追求したくなる「ブーム」が来ているのだ。
まず、この信託銀行の社長さんが「16歳ぐらいの頃」という記述。
社長さんは1952年2月17日生まれなので、「16歳」だったのは、1968年2月17日から、1969年2月16日まで。一方、ビートルズの[White Album] は、英国で1968年11月22日、米国で11月25日、日本では翌1969年1月21日発売ということになっている。
つまり、社長さんが「16歳」で二枚組の [White Album] を聴いていたとしたら、あの時代にわざわざ輸入盤を速攻で手に入れたか、日本発売されて25日間内に入手したことになる。そうなると、「ビートルズはそれほど好きではなかったが」という記述は怪しくなる。好きな方でなければ、そこまではしないだろう。二枚組で通常のアルバムより高価だったとなると、なおさらだ。
むしろ、社長さんの「16歳
ぐらいの頃」という記述が重要だ。本当に「ビートルズはそれほど好きではなかった」としたら、[White Album] を聴いたのは既に17歳になって以降だと考えるのが妥当だ。しかし、新聞のエッセイには、「ホワイト・アルバムの発表年 1968年」から、「自分の生年 1952年」を単純に引いた「年齢」を書いたのだろう。
さて、社長さんは "While my guitar gently weeps" を聞き、ギターが気になり、「クレジット」を見ると、「ギター演奏エリック・クラプトン」とあったと言う。本当だろか。
まず、「クレジット」という言葉をそのまま解釈すると、この記述は誤りだろう。[White Album] には、エリック・クラプトンの名前はクレジットされていない。これは有名な話だ。リマスターされたCDの「解説」にこそクラプトンの名前が中にあるが、私が持っている昔のCDには「クレジット」されていないし、1968年や翌年に発売されたLPにも、クラプトンの名前は「クレジット」されていないはずだ。もし、「クレジット」されている現物をお持ちの方は、ぜひご一報を。
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